私のアルバイト遍歴〜バイトを通して適職を探す〜

 

今に至るまで、数々のアルバイトをしてきました。

いろんなアルバイトを経験して今がある私ですが、仕事を始めた頃は失敗ばっかり。

けど、今になると「自分に足りないもの」を仕事をすることによって補っていた気がします。

出来ないことばっかりだったし、大変だったけど、あの頃のことを思い出して、少しセンチメンタルになりました。

 

 

 

高校の時は学校が少し遠かったのと、家では禁止されていたこともあり、周りと比べるとアルバイトデビューは遅かったです。

 

随分昔のことになりますが、書いてみようと思います。

 

初めてのアルバイトは、美大生になった一年目。

吉祥寺にある、有名喫茶店に憧れ、応募しました。

喫茶店というのは、お客様に直に接するお仕事。

 

お客様の目の前で大失敗ということではありませんでしたが、素敵な薄いグラスで指をすっぱりと切ってすぐに働けなくなったり、接客の時に何かを忘れたことを覚えています。

 

すぐに首になってしまって、リカバリーする隙もありませんでした。

「喫茶店」というイメージに憧れていたのですが、これは、悲しい黒歴史になりました。

初めてのアルバイトの場合、もっと目立たないような素朴な仕事の方が良いかもしれません。

「成長段階や順序というものが分かってない私が悪い」と今だから分かります。

自分の技量の見極めが出来ていないと、応募したお店にも悪いですね、、、。

 

当時は「新しいスタッフを育てるつもりのないところに入ってしまった、、、」と大後悔。

(後日、友達から「あの店はアルバイトに厳しくって有名なんだよ」って聞かされました。)

 

最後の数日は、ケーキを作る作業場に配属され、イチゴを切ったり、デコレーションの下準備をさせてもらいました。

明らかにその方が楽しかったですね。

「働いていても他人から喜ばれない」という経験もなかなか出来ることではないです。

社会デビューの初めで痛い思いをしました。

 

 

次の仕事は、輸入おもちゃの倉庫作業。

 

ドイツの有名な木のおもちゃや、布の人形、クリスマスのオーナメント、パズルやゲームなどを倉庫内で集めてから、メンバーお互いに間違いが無く確認し合い、箱詰めして発送します。

取引先の店舗に発送する作業なので、スタッフ同士ある程度は話も出来、随分リラックスできる仕事で良かったです。

夏の暑い日、真冬の寒い日、汗して働くのは、気持ちいいです。

 

ここで学んだことは、ダンボールのサイズを選ぶのが、結構難しいこと。(笑

ダンボールのサイズというのは、立体的に物を把握しないといけないので、その感覚を鍛えていない場合は何度も選び直すことになります。

倉庫内の商品はおもちゃばかりなので、読み上げる時に「シカとおじいさん」「冬の日のスケート・パズル」「クリスマスオーナメント・雪の結晶」「アヒルゲーム」「うさぎ3匹」など、ワクワクする名前ばっかりでした。

現実的には「倉庫作業」であっても、夢のあるお仕事でしたね。

こちらのお仕事は、繁忙期や学校がお休みの時に何度かさせてもらいました。

 

本社で事務で働く家族からの紹介でした。

前の喫茶店の首事件で随分と傷付いてた私は、「自分を鍛え直さなきゃいけない!!もう世間知らずではいられない!!」と必死で、紹介ではない次のところでを選び、働くことになります。

 

 

3番目は「たこ焼き・お好み焼き・たい焼き」を作りながら売る、というお仕事でした。

スーパーの中にある店舗で、近所に本社があったこともあり、働きやすいお店でした。

今思うと、面白くって、真面目な人が揃っていて楽しかったですね。

友情も育みました。

 

しかし、この時はまだ自分に「ポンコツ疑惑」がありましたので、お仕事に付いていき迷惑かけないように頑張っていた気がします。

たい焼き屋さん

たい焼き100円のものを売るのに、こんなにくるくる回らなきゃいけないんだと、働く厳しさを知りました。

たこ焼きや、たい焼き、お好み焼きを1人で焼きながらレジもするという、素早さも多少身につけ、働くのも面白くなりました。

 

お店があるのはスーパーの中だったので、スーパーの社員さんをみているのは興味深かったですね。

明らかにつっぱり気味の女の子が数人いました。

眉毛と目の間のありえないところに、眉毛を描いていたり(キリッとさせたかったのでしょう)

たこ焼きの店長と付き合う社員も現れたり、驚きの連続でした。

 

このころはもうすでに美大の学生だったのですが、最初は、あまり美術とは関係ないことでアルバイトしていましたね。

この後、アートやデザイン、イラストに関わる仕事をするようになるのですが、この時代も必要だったと思います。

 

その後は、大手の設計事務所、個人の設計事務所で仕事。

セツモードセミナーに通いながら本屋さんで絵本の担当者。(本の宣伝ポップを描くのが楽しかったです)

そのあとは、デパートにお花のディスプレイを施工する会社で、現場で作業したり、プレゼンで必要な花の絵を描かせてもらったりもしました。

イラストのお仕事を始めたのはこの辺りです。

結婚してからは、またサービス業として、3年ほどmujiの店舗で働きました。

 

このころにマクロビオティックの学校「クシマクロビオティックアカデミー」に通いました。

 

mujiと並行して、川崎にある温泉施設内でマクロビオティックのカフェで働きました。

このころ家族や自分の体調不良により、新井真理子さんの主催するヴィーガンの私的団体キネクラブに通うようになりました。

その後、3年間キネクラブのスタッフで働き、今に至ります。

 

 

振り返って感じるのは、サービス業が好きだったこと。

人に接する仕事はとても好きです。

一期一会の出会いを大切にすると、見えてくる世界があります。

そこに気がついた時、1人1人を大切にする仕事っていいなと思いました。

もちろん経験不足で厳しさや、知識の無さで痛い思いもたくさんしています。

サービス業が好きな理由は「感謝されるから好き」だけでは無い気がします。

この感覚ってなんだろう??と思いますが、「そこで同じ時間を過ごした、さりげない瞬間が好き」、そんな感じでしょうか。

 

人間と人間って、少し距離があって、それでも気持ちのよい時間を過ごせるのっていいなと思います。

 

首事件という黒歴史から始まった私のアルバイト遍歴。

自分がポンコツじゃないか?って思っていた時代は、本当に辛いけど、それこそ、その思い出も、仕方ないこととして諦めて、自分に出来ることを探すのも大切です。

 

適度な緊張は大切です。

この現場で自分は役に立てているのか?って客観的に観察することは必要ですね。

 

そういえば、イラストレーターも分類では「サービス業」なのですよね。

今、お仕事をいただいているお客様に喜んでもらえるように、一緒に素敵な時間が過ごせるように、良いものを作って行きたいと思います!